次の電柱まで走ろう (16/11/16)
マラソンの君原健二さんの言葉で、私の好きな言葉です。練習やレースの苦しい時「まず次の電柱まで走ろう」と念じながら走ったそうです。75歳にしてボストンマラソンを4時間53分で完走したのをはじめ、74回のフルマラソンをすべて完走したのは、まさにその実践でしょう。
50年以上前ですが、大学4年時に、クラスで九州の八幡製鉄(現新日鉄)を工場見学しました。案内してくれたのは丸坊主で作業服を着た全盛期の君原さんでした。「広報課の君原です」との簡単な自己紹介で、温和な顔は、テレビで見る走る姿とは違っていたので「マラソンの君原さんですか」と尋ねて初めて本人だと分かりました。
レースはいつもマイペースで、後半には苦しげに首をかしげながら走る姿は痛々しく、勝ってもおごらず、優勝インタビューでも何も変わったことをしていないと言いたげな姿に、謙虚な人柄を感じて、いつも応援していました。
親友であり、ライバルだった円谷幸吉が「幸吉はもう走れません」と自殺し、相当ショックだったようで、君原は大丈夫かとひそかに心配しました。円谷も「明日の朝まで生きよう」と頑張ってくれたらよかったのに、と思います。