第4回 コッホ
パスツールと並んで、現代細菌学の父と呼ばれているのが、ドイツ生まれの医者コッホである。コッホは結核菌の発見者として知られるばかりでなく、今日広く行われている寒天培養法や染色法を編みだした、文字どおり微生物研究の基礎を築き上げた人物である。
パスツールとコッホ、このふたりは何から何まで対照的だった。少年時代は愚鈍であったパスツールに対し、コッホは非常に優秀であったという。成人してからは逆に人生設計の段階を着実に登っていったパスツールに対し、コッホは行き当たりばったりの生活を繰り返すというふうである。研究態度のほうもせっかちなパスツールにくらべ、コッホは慎重すぎるほど慎重だった。
ただ愛国心だけは、同じように篤かった。それがために、当時のドイツとフランスの間でおこった普仏戦争が、このふたりを否応なく反目しあう立場にさせてしまうのである。戦争が始まると、パスツールはドイツから授かったせっかくの名誉教授の称号を返上してしまったし、コッホは、パスツールの行った炭ソ病ワクチンを厳しく批判した。
しかし、今日の目でみたとき、ふたりは、まさに車の両輪であったといえよう。資質の違うふたりがライバル関係となることで、足りない部分を冷徹な目で批判しあうことができた。そして、その克服が細菌学の花を大きく開かせたのである。