第42回 ファーブル
ファーブル (1823~1915)
いつも虫めがねを離さず昆虫観察に没頭し続けるファーブル。そんな姿を想像すると、少年時代の夢をそのまま引きずりながら順風満帆に人生を送った人のように思ってしまう。けれども全十巻からなる『昆虫記』の最初の巻が上梓されたのは、なんとファーブル54歳の時。全巻の執筆にはそれからさらに30年もかかっているのである。
遅咲きのファーブルの青年時代は田舎の教師だった。少年の頃から学問好きだったファーブルは師範学校を卒業するとそのまま教師となった。教壇に立つ傍ら植物や貝の採集に熱中したりすることもあったが、博物学は学んだ経験がなく、それ以上のものではなかった。そんな彼を一夜にして変えてしまったのがデュフェールという人の書いた一編の論文であった。それはタマムシフシダカバチという昆虫の習性について書かれたものであったが、これを読んだせつな眠っていた博物学、それも昆虫に対する興味がファーブルの心のなかに一挙に噴き出した。ファーブル31歳の時である。彼は昆虫の研究を一生の仕事と定めた。
生涯の仕事を決める劇的な出会いというものがある。その機会に恵まれた人は幸せだ。しかしそれを得ようとしたら自身の不断の努力というものも必要であろう。「薪は十分に用意されていた。もしそこに火がつけられなかったら、それはいつまでも燃えださなかっただろう」とはファーブルの言葉である。