第55回大河内正敏
大河内正敏 (1878~1952)
科学者にとって自分の好きなテーマの研究に没頭することほど喜びを感じる時はないだろう。だが時として、自分の本意でないテーマの研究にも手を染めなければならないこともある。多くの偉大な科学者を輩出した理化学研究所の所長を25年間勤め上げた大河内正敏は科学者に自由な研究をさせるために努力を尽くした人物である。
理化学研究所は、大正5年に政府援助のもとに設立された。大正10年に所長に就任した大河内は「主任研究員制度」を考えだして実行した。それは人物本位で主任研究員を選び、その下に独立した研究室を置き、研究課題、人事予算の使用などの一切を主任にゆだねるというものだった。大河内のこの制度は主任に選ばれた研究員にとってまさに「科学者の自由な楽園」であった。この楽園をつくるために大河内はその全力を尽くしたのであった。
大河内が所長に就任した時には約100人だった所員は5年後には400人にまで達し、第二次大戦が始まった頃には、1500人を超えていた。しかし戦争によって「科学者の自由な楽園」は研究所設立当時の目的であった「産業の開発と国防の充実」にむしばまれていった。陸軍の援助のもとに原子爆弾の開発に研究所が関与した関係から、大河内は戦犯の容疑者に指名され、拘置所に収監された。その後釈放されたものの、所長の任を辞めざるを得なかった。「科学者の自由な楽園」づくりを自指した大河内にとって何とも皮内な結果になってしまったのである。