第46回 長岡半太郎
長岡半太郎 (1865~1950)
現在正しいものと考えられているボーアやラザフォードの原子模型。その先駆けとなる土星型原子模型を提唱したのが日本の長岡半太郎である。長岡は晩年、学会の重鎮として多方面の活躍を見せたが、最も大きな功績は原子物理学という新しい学問領域を日本において開拓したことであった。
長岡が生きた時代は物理学においては実証主義が支配的であった。そのため、目に見えない原子や分子の存在を仮定して議論を進めることは、自然科学者のとるべき態度ではないとされていた。しかし長岡は「仮定がたとえ奇抜なものであってもそこから導きだされる結論が実際の現象とよく合致する場合には、その仮定を正当なものとして認めるべきだ」として、当時ヨーロッパで花開いたばかりの原子物理学の世界に踏み込んでいったのである。
長岡の「土製型原子模型」は、当時提案されていた「ケルビン卿の原子模型」に疑問を抱いた長岡が、東京数学物理学会で初めて提唱したモデルであったが、それは日本よりも海外で注目を浴びた。しかし日本の学会の保守的な風土や長岡自身の消極的な姿勢もあってそれ以上の発展はなく、冒頭のボーアやラザフォードに手柄を奪われてしまう結果となったのである。こうした反省もあってか、長岡は湯川秀樹のノーベル賞受賞に尽力した。